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2012年11月11日 (日)

ただの日記です。過度な期待はしないでください。(~20121110)

逆に考えるんだ<挨拶

北京国際マラソンに日本国籍の選手が参加登録できなくなってる件。
中国当局が言い訳的に邦人の安全確保ができない的なことを言ってるらしいですが、それを真に受けてもいいような。逆に考えようっていうのは、普通に考えたら尖閣問題とかの報復措置だろうというのはあるんだけど、そうじゃなくて今日本人が中国でのそんなイベントに参加したら何されるかわからないってのはあるから、たとえ嫌がらせの報復措置だとしても、邦人の安全確保がいいわけだとしても、そこは実際に身を守るために参加しないというのはありなんじゃないかと。
まあ、邦人の安全は守られなければならないから、中国本土上からの日本企業の撤退とか、日本の資本の撤退とか、もうあちらさんの方が経済的に立派なんだから支援は全面的に打ち切るとかの経済的国交断絶とかもありなんじゃないでしょうか(言いたい放題だな…)、とか思ったり。

インフルエンザではなく急性腸炎だった模様で、結局、金曜は朝から全身の倦怠感と筋肉痛様の痛みがひどくて休ませていただき朝イチで医者へ行ったのですが、問診と腹部の聴診と喉を見ただけで適切な処置をしていただいたいつも見ていただいているお医者さん、すごいなぁ、と。注射と点滴を打ってもらい、昼過ぎまで安静にしてたらわりと回復しまして。現状、全快ではないにしても、かなりまともな体調に戻りました。
めでたしめでたし。

Google Playの決済問題、一応、一度だけ問い合わせの返答が来ました。回答の時点より24時間から2~3日後に試しに買ってみてくださいということで、24時間以上経過してから買ってみたんですが、相変わらず購入時にエラーが出て、しかも残高だけはしっかり引かれる状況。
ていうか、これ、カード会社側は悪くなくて、アカウント審査するためにわざわざカード会社への審査請求を発生させてるGoogle側のシステムの不備じゃんってことで、そんなのユーザー側の立場でちょっと使えばすぐ不満だとわかるシステムをそのままにして、問い合わせ先も極めて不明瞭にしてるという、ネット主体の会社の悪いところがもろに出てる感じ。なんだろう、Yahoo!BBが一時期叩かれまくった問題と同様な気がしますね。対応が不誠実なのも実に似てる。Googleってこういう企業だったのか…と、検索エンジンは別に嫌いじゃないんだけど、個人相手に商売する企業としてはかなり嫌いになりましたね、今回の対応で。金銭のやり取りが絡んでるんだから、そこらはシビアにやってくれないと困りますよって初めの問い合わせからちゃんと書いてたのにこれだから話にならないです。しかも問い合わせの回答から24時間後から2~3日後にユーザー側から改めて購買を試行しろというのも、よくよく考えればおかしな話なんですよね。Google側のアカウント審査の都合なら、問題ないと判断された時点で現時点から問題なく購買可能ですという通知をメールなりなんなりかの手段でユーザーへ送ればいいだけの話じゃないんでしょうかね。それをしないで試しに買ってみてくださいというのはおかしな話だと思うんですよ。一時的にでも一方的に請求だけ発生させて残高を引いて、しかもエラー扱いで消費者側にはその対価が与えられないというのは、システム不備以外のなにものでもないと思うんですが。
というわけで、回答が不誠実で遅いままなので、折を見て消費生活センターへ相談をあげようかと…金銭が絡んでなければ、もっと言うならアカウント審査だけの問題で残高が引かれるということがなければここまで文句は言わないんですが、一方的な理由でキャンセルしてるくせにカード会社へはしっかり処理を行い、仮とはいえ残高が減ってるという現実がユーザー側に不便を強いているわけで、これがシステム不備でなくてなんでしょうかという話。ネット上でいくつか散見される話で、Googleからの請求についての話を見てると、Googleがカード会社へ請求額の確定情報を送るのもどんくさいようなので、そういうとこにはかなりルーズな会社なのかなーといわざるを得ませんね。今時リアルタイムでの決済くらい普通じゃない?って思うんですけど(まあもしそこだけしっかりやられてたら、今回の実害はもっと酷いことになるので困るわけですが)。ネット上だけの話で実害が発生しないのならともかく、こういった形で自身が被害を食らうと、上っ面は良くてもダメ会社なんだなってのが身にしみますね。規模が違うけど一時期ライブドアとか楽天が虚業だって叩かれてたのと似たようなものでしょうかね。
ていうか、いまどきの同人ショップのDL販売とかの方が決済システムがしっかりしてるとか、笑い話にもならないんですが。Googleってそういう面ではド三流企業だったんですねー。知らなかったわ。
やれやれ。

「正義は伝播せず、悪意だけが伝わってゆく」神山健治監督の絶望との戦い。(2222文字):ゆるオタ残念教養講座 - ニコニコチャンネル:エンタメ
うーん、監督がインタビューに答えているという元記事を本を買って読まないと詳しくはわからないわけですが、監督は作中にまだわずかな希望を乗せたようですけど、現実はもっと厳しいと思います。作品は娯楽である以上、希望も乗せないと…ということではあるんでしょうけど、現代においてはそんな希望は持てないというのが実感としてあります。
映画の『それでもボクはやってない』を見てても思ったことですが、真実というのは必ずあるんだけど、大勢の判断というのはおおよそ安易で悪意のある程度の低い方に流れていく、というもの。信念も主張もなく惰性で歩いている人の如何に多いことかという話ではあるんですが。人はみな身勝手で、それに屁理屈をつけて正当化して動いているだけだ、ともいえます。
悪意の反対が正義であるかはともかくとして、善意や信念ある行動は極限の状況ではほぼ発揮されないと思って間違いないのが普通の人だと思います。こんなことを書いてるわたし自身も当然例外ではないです。ただ、そういう場面でも信念を曲げない胆力は欲しいな、とは思ってます。難しいですね。
『それでもボクはやってない』を見ていて思ったのは警察の描写がリアルだなーってところ、面白かったですね。彼らは正義の味方なんかじゃない、税金という中から給料を与えられて働かされているだけの権力代行者だってことで、法云々はほぼ関係なく、彼らの個々人の善悪判断でものごとの事実が書き換えられてしまうことは往々にしてある、という部分が実に興味深かった。たとえばつい最近あったネットでの犯罪予告事件についての冤罪とかもそうだし、ストーカー事件で被害者が必死で守ってきた個人情報を何の配慮もなしに犯人に口伝してしまうとか、あれなんか警察が犯罪そのものを幇助して犯したようなものだから、犯人そのものよりもその警察内の関係者の方が重罪でしょうに。警察はあの事件、どう処理するんでしょうかね。身内のことだからえげつないことしてでも庇うんでしょうけど、被害者の身内にしてみれば、犯人ともどもその警察官を殺しても殺し足りないくらい、憎んでも憎みきれないくらいに、はらわた煮えくりかえる話だと思うんですよ。少なくともわたしだったら同じ目にあわされたら犯人ともどもその警察関係者を死んでも許さないし末代まで呪い祟ってやりたくなる話ではあります。でも、現実としてそういう事件は往々にして起こってしまうし、結局のところ、自分の身は自分で守らないと警察は守ってはくれない、警察さえも疑わなければならない、味方でないものはすべて敵…この風潮、どうにかならないものでしょうかね。
話がそれたので悪意善意の話に戻すと、個人個人でどれだけ善くあろうか、という意志の問題だと思うんですよね。引用になりますが雪風作中のトム・ジョンのセリフの中でインディアンに伝わる教えの中のこととして語る「自分の皿に盛られたものだけが自分の取り分でそれ以外は誰のものでもない」的な話があるんですが、現代はその後の零の孤児院での回想にあるように「みんな他人の腹にまで手を突っ込んでくるような連中ばかり」という世相になってると思うのです。
現代日本は道徳的観念がほぼ欠如崩壊してると思います。そもそも、わたしが子供だった時代から、学校の道徳という授業自体がくだらないものとして忌避される風潮はあったから、そういう世代が親になる時代になってしまっては、そりゃ道徳がなくなるのも当然でしょう。過去の人たちが住みよい後世のために努力して築いてきた、人が善くあれと説く道を自らぶち壊してきたわけですから、荒んで当然かと。
残念だったり腹立たしい話ではあるけど、風潮が変わらない以上はそこで腹を立ててもしょうがない、ということで、考え方を変えるわけです。
他人の幸せのために自分が不幸になるのは許せない、そんなの馬鹿げてる、と。
自分が我慢して誰かの犠牲になるとか、そういうの…という風に。
自己犠牲とかない、そういう考え方です。
これが「悪意だけが伝わっていく」ということなんでしょうが、個人的には、そこには善悪はないと思います。誰もが自分だけに善くあれとしか考えていないのなら、個人としてはそれを信念を持って貫くだけでしょう。惰性で楽な方に堕して幸せを得てる人の犠牲になる必要はないし、そんなのは蹴散らしていけばいい、そういう考え方で。
今でさえ善悪の判断については理性が伴わないことが増えていると思いますが、そういうのは、よりプリミティブな方向へと変わっていくのではないかと思います。社会の高度情報化は必ずしも理性的で理想的な社会を築くことにはならなかったというのは何の皮肉でしょうかね。

はるかぜちゃんが「死ねとかいう言葉をみても、何にも感じなくなってる人は、震災のときもそうだったんですか」とツイートしてるのを見て、やさしいんだなーと思いました。わたしは性根でダメ人間なので、何も感じないどころか、あのときはより強固に「無為無策な政府関係者は死ね」って思ってましたね。あと不必要にガソリンスタンドに群がったりスーパーで買い占めしていた人達にも。ただ、命の価値観については、今さらながら改めて考えさせられたり。だからこの子はすごい。それはさておき、命についての価値観。自身のまわりの大事な人たちについては、やっぱりかけがえのないものとして大事だと思っています。それ以外は正直どうでもいい、というのが現在の本音だったり。満員電車で周りにいる他の乗客とかむしろ邪魔くらいにしか思ってませんから。身勝手ですか?でも、人ってそういうものじゃないかなぁ、と。自己抑制して周りの迷惑にならないようにすることはもちろん大事だけ、それはTPOを考えてというのもあるし、「お前が勝手なことやってんのになんでこっちがその犠牲になってまで我慢しなきゃいけないんだ」という状況では一歩も引くつもりはなくなったというのが今の心境だったり。
それでも彼女は言うんでしょうね「震災のあとだけ何でもかんでも不謹慎不謹慎って騒いで、平和になったら忘れるんですか。」当時、不謹慎って騒いでいた連中にこそ、死ねって思っていたクチなので。今、そういう連中がのうのうと生きているのが当時のわたしなら逆に我慢ならなかっただろうけど、今はむしろどうでもいいというか。神山監督の話に戻る感じですが、そういう堕した人々を自己を犠牲にしてまで守ったり諭したりする価値があるのか?と…今のわたしにとっては、そんな他人はどうでもいいです。個人が生き抜くだけでもどうにかこうにかといった現状では余計にそんな感じでしょう。わたしは育ちが悪いから、彼女みたいな考え方はもてないな、と。


辛気臭いですが今回はこれで終わり。


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コメント

阿梨さんは20代の女性と認識していますが、(一般的な20代女性と)何が違うのか、とよく思います。育った環境とかご両親とかなのでしょうね。いやいや20代女性と付き合いはありませんが(娘以外には)。
昨夜録画しておいた「新世紀エヴァンゲリオン」を見ていました。初めて見て面白かったです。

オークションには時々バチモンがあるので気をつけます。よくはまってますが。

投稿: mipod | 2012年11月11日 (日) 12時44分

さてどうでしょう?
というのさておき、ヱヴァご覧になられましたか。新劇場版は実によくできてますよね。旧版と違い、登場人物みんながみんな、ちょっとずつ前向きなんですよね。娯楽としても楽しい方向に少しずつ振られてる。
当時旧作を見てて、劇場でも見て、あの頃のリアルタイムでの盛り上がりはそれはもうすごかったですが、今の熱気とはちょっと違った気がします。なんていうか、今よりこういうのを受け入れられる素地がまだなかった頃だったからか、いろんなところからのパクリ要素を指摘されつつもエポックメーキングな作品ではあったので。新劇場版は、それよりはすでにみんながある程度知っていてという前提もあるので、旧作当時のような熱を帯びた盛り上がりとはかなり違う印象ですが、作品内容としては素直に見てて楽しいですね。
個人的にはレイなんかは旧作より新劇場版の方がずっと好きだし(旧作当時はレイは嫌いでした)。それらプラス、今風に狙ってるなーってあざといカットも多数あったりしますが(苦笑)、そういうサービスもありでしょう。娯楽なんだから、面白けりゃよいのです、みたいな。

投稿: 釘町阿梨 | 2012年11月12日 (月) 23時28分

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